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昔取ったポカリスエット柄

読んだ本の感想とか、日常の出来事や考え事を書いていくタイプのブログ。

アイデアの価値

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ブログをなんと8ヶ月も放置してしまった。しかもずっと続けていたのを8ヶ月放置したのではなく、作って一つ記事を書いて8ヶ月放置したのである。三日坊主どころの騒ぎではない。

途中、なんと女子高生をしている友人から「ブログ放置してないで更新しろよ!!!!」というお叱りを受けた事もあったのだけれど(さりげない自慢ですよ、ほらルサンチマン爆発させてください)、なんだかんだ慌ただしい時期と重なったのと、女子高生は歳がいきすぎているのではないかという内部事情もあり、私の中でブログ更新は却下されてしまった。

まあこれからまた忙しい時期がくるのでどれくらい更新できるのかわからんのですけど。

 

というわけで今回の話。

イデアの価値。

 

要旨

インターネットはアイデアの宝庫である。しかし一方で、我々がふと思いつくアイデアはインターネットによる情報の圧倒的な加速と蓄積の前に、その価値を大きく減じた。たいていの場合、ふと思いついたアイデアは既に多くの人々が思いついていて、アイデアは作品やソフトといった何らかのある程度まとまった形にして公の場に出すことではじめて価値がうまれる。

 

 

1 さいしょに

自分にとって当たり前のことでも一度文章化することが大事というのは、なんと九ヶ月前の私も書いていたらしいのだけど、今回はその一環としてのお話です。頭だけではなく、一度手も動かすことは大事ですね。

今回の話のアイデアは私の壊滅的な脳が記憶している限りでも高校生の頃には見たことのあるアイデアです。

 

2 あいであ

日常の中でのふとした思いつき。授業中に政治制度に関する革命的な着想を得ることがあるかもしれないし、散歩中に小説のネタを思いつくことがあるかもしれないし、あるいは通勤電車のなかで絶頂を覚えるようなコード進行が頭の中に響くこともあるかもしれない。そのどれもが思いついた瞬間は実に偉大で斬新な発想、着想に感じる。

ここで考えるのは、決して歩きなれた道を歩いている時間や眠りに落ちる前によい発想が生まれやすいという話でも、アイデアは一度煮詰まったら自分用にまとめて寝かせておくことが重要などといった話でもない。

そのアイデアは本当に斬新なのか、についてである。

 

 

多くの場合、あなた程度が思いつくアイデアは、誰かが、それも多数の誰かが思いついているのである。あなた程度、という言い方が不満であれば、こう言い換えよう。 今生きている日本人だけで1億以上、上下3年くらいの幅を取った同世代に絞っても数百万の人間がいる。それで、その数百万の人間が同じことを一度も考えた事がないと真剣に考えるのか。時代を遡って見ていっても、誰もあなたのアイデアを露ほども考えたことがなかったと、本当にそう思えるのか。

答えは否だろう。

だいたいのアイデアは、自分が思いついた時には少なくとも10人なり100人なりが既に思いついていると考えるのがまず間違いなく正しいし、そう考えると余計な感情の浮き沈みに惑わされずに済む。

 

3 いんたーねっと

インターネットは面白い。コンテンツは毎日爆発的に増え続け、自分の興味の範囲だけでも追いきることは難しい。誰もが発信者になる双方向的、多方向的なメディアの宿命として、あらゆる分野の情報が玉石混合であることに留意する必要はあるが、ネット上には多くの刺激が存在する。

誰かが思いついたことをtwitterで呟く。facebookに写真を載せる。掲示板で持論を披露する。思いついてから情報を提供するまでの時間はごく短く、その情報が閲覧者に届くまでの時間もまたごく短い。飛脚は必要なくなった。しかも、飛脚が届けるはずのない自分宛ではない情報まで届くようになった。

そしてそういった情報がログとして蓄積されていく。

 

そこには、あなたがついさっき斬新だと思ったアイデアAが存在するかもしれない。 そして、そのアイデアAを自分で思いつくことと、インターネットで見て気付くことに差は存在しない。どちらも等しく「あるアイデアAがある人物Iの脳内に存在する」という状態にすぎないのだ。

そういった意味でインターネットはアイデアの宝庫である。一方で、かつては情報を手に入れることが難しかったためアイデアそれ自体に価値があった。現在その価値は、インターネットという名の大海の前にして無に等しい。

 

イデアは頭の中にあればいい。アイデアを思いつくために必要な知識量を蓄えるためのコストと、インターネットで見つけるために必要な時間コストはどちらが重いのかはわからない。アイデアを価値あるものに落としこむためには前者の方が直感的には良さそうだが、いま今回の本筋に関係ないこの議論をきちんと掘り下げるつもりはない。

 

4 はっぴょう

イデアに価値はない、では何に価値があるのか。

当然、アイデアをきちんとした形でまとめたものとなる。ここでのきちんとした形とは、政治制度に関する革命的な着想であれば論文、小説のネタであれば小説、コード進行であれば楽曲や音楽理論といったものである。

それらが公に発表されてはじめて、価値となるのである。

 

ただし、学問に代表されるような洗練された専門知が求められる世界においては、インターネットではあまり情報が拾えなさそうなので、アイデア、ひらめきは非常に重要であると思われる。かつ、アイデアがあるだけではどうしようもなく、そのアイデアをきちんとした形に結び付けるために、前提となる体系だった膨大な知識が求められる。

 

5 それで

つまるところ、我々の日々のちょっとした(洗練された専門知を必要としない範囲での)思いつきには価値などなく、こうやってブログにちょっと書き散らかす程度のネタにしかならないのである。